ベンポスタの一日

食事の時間
ベンポスタでの最初の仕事は、食事の前に子どもたちに手を洗わせることだった。日本のように水道の蛇口をひねれば水が出てくるわけではないから、まずは水の準備をしなくてはいけない。水はタンクの中にあって、そこからバケツに入れる。しかし、その肝心なバケツがないこともある。掃除、水浴び、トイレなど様々な用途で使われていて元から絶対数が足りないからだ。本当は、掃除用のバケツ(モップを洗うためのもの)を使って手を洗わせたくはないのだが、それしかない場合は仕方がない。子どもたちは外で遊んでいるため手は汚く、たとえ掃除用のバケツであっても洗うに越したことはないからだ。もちろん、バケツはきれいにしてから使う。食事以外のときでも手を洗わせたい場面はいくらでもある。たとえば、噛んでいるガムを汚い手で口から出して、それをまた口に入れたりしているときなど。本来ならば親が注意すべきものだが、すべての親たちがその場に居合わせていないし、居合わせていたとしても衛生についての知識などを持っていないから注意しないまま。僕は注意できるときは注意をしていたが、注意をしても子どもたちは同じ行動を繰り返すだけ。
食事の時間がくると、子どもたちは一斉にサロンに集まってくる。手を洗うのが面倒くさい子どもたちは僕たちボランティアに両手を見せて「きれいだよ。」と言ってくる。さっきまで、地面で寝転がっていた子やボールを転がして遊んでいる子の手がきれいなはずがない。「だめ、洗って!」と言う。「手には見えない細菌があるから」などと説明したいが、説明する語彙がないのと、たとえ言えたとしても言い終わる前に他の子とジャレあってしまって聞いていないだろうと予想できるため言わなかった。子どもたちに難しいことを注意するのは、スペイン語が流暢に話せる人でないと難しい。
手を洗い終わったら子どもたちを椅子に座らせる。お母さんたちが食事を運んできて、僕たちが食事の運ばれた子にスプーンやフォークを配り始める。後からスプーンなどを配るのは、子どもたちが食べる前にそれらを使って遊び床に落としてしまうのを防ぐため。しかし、ここからが大変。僕たちがベンポスタに来たとき、多くの子どもたちが食事中に食べ物を投げ合って遊んでいた。日本人の僕たちは「食べ物を粗末にしてはいけない。」という環境で育ってきたため、かなりの嫌悪感を覚えたが、当時ほとんどスペイン語を喋れなかったため成すすべがなく、それをどんな風にやめさせたら良いか分からなかった。その日のうちに、和西辞書で「投げる」、「食べ物」という言葉を調べた。翌日、「食べ物を投げるな!」と言ってみたが言うことを聞かない。週に1〜2回マリア・ルイサがベンポスタにやってくる。彼女に相談すると、「食べ物を投げる子は食事を取り上げて追い出しなさい。他に食べさせなくてはいけない子たちがたくさんいます。」と。もっともな話。翌日から彼らが食べ始める前に次のように言った。「食べ物を投げるのをやめなさい。あなたたちが食べ物を投げたとき、私たちは『出て行きなさい』と言います。」と。効果覿面。彼らにとっては食事を取り上げられることほど恐いことはないのだ。でも、たまにやっぱり投げてしまう子がいる。僕たちの死角で投げている子もいる。僕たちの視界で投げた子に対しては、「出て行きなさい!」と命じる。彼らはなかなか席を立とうとしないが、まずは食事を片付け、投げた本人の腕をひっぱって、何が何でも引きずり出す。本当はこんなことしたくない。でも、彼らには食べ物を投げて欲しくないから、そして、彼らは食べられるだけで幸せだということを分かって欲しいから引きずり出す。泣く子、べそをかく子、八つ当たりで他の子の食事を手でわしづかみにして僕に投げようとする子、追い出された後に戻ってきて他の子から食事をもらおうとする子など様々。一番困るのは、僕たちの死角で見ていなかったものについて「こいつが食べ物を投げた。」とチクるパターン。無視。かまっていられない。
食べ物を投げていないときでも、ほとんどは小さい子たちが食べているため床には食べこぼしたご飯や飲み物が散乱している。それを掃除するのはお母さんたち。大変。小さい子どもたちは朝と昼だけご飯を食べに来るため、最初の頃は昼ごはんが終わるとホッとしたものだった。